品
Logo
Corea든 Korea든, 품격은 이름보다 먼저다
Whatever the name—Corea or Korea—dignity comes first.
Whatever the name—Corea or Korea—dignity comes first.
今
지금
751 Diaspora
遺産
유산
人文
인문
未冷屍
未冷尸
政治
정치
メディア
언론
Thumbnail
category-icon

小說

칼럼
bunny365

ドゥッコバ、ドゥッコバ、どうして私の家に来たの?

Views
0
2025. 11. 28
「ヒキガエルよ、ヒキガエルよ、古い家をあげるから、新しい家をちょうだい。」
 
歌詞の全部を暗記しているわけではないが、ヒキガエルを呼びながら手の甲の上に砂の家を固く積み上げるのに、日が暮れるのも忘れて遊んだ時代が昨日のことのようだ。しかし、もう人間の記憶力の限界とエラーを認めるときになった。続く歌詞は、
 
「ヒキガエルよ、ヒキガエルよ、水を汲んでおいで、お前の家を建ててあげるから
ヒキガエルよ、ヒキガエルよ、お前の家に火事だ、鉄の熊手を持ってトゥルレトゥルレとおいで」
 
少し変だが、私たちは幼いから何でも暗記できて歌うことができた。この歌が自然災害を先に感知するヒキガエルを見て生まれた口伝だと解釈する現代韓国人は、植民地と独裁と国政壟断といううんざりする人間性破滅の記憶をマッサージされた無理やりの韓国社会の歪んだ自評だ。まっすぐで上品な心性が奇怪な低質の単純さで点綴され、子供も大人も人間性を徐々に喪失した。
 
続く歌詞は、ヒキガエルが誰かから古い家を受け継ぎ、新しい家を提案される取引の発展だ。いくらヒキガエルでも計算ができないはずはない。もしかするとヒキガエルは誰かに騙されて、長い祖先の拠点を異邦人に明け渡したのかもしれない。彼らの新しい家は口先だけの新しい家で、掘っ立て小屋のような狭くて狭い家かもしれない。
 
考えも及ばず遊んでいた。どうせ草原や水辺に住むヒキガエルに、なぜわざわざ水を汲みに席を外させ、その間に新しい家を建ててあげると提案したのだろうか。びくともしないヒキガエルに、今度は「お前の家に火事だ」を投げつける。住んでいた家に火がついたので、お尻をずっとつけて暮らすことはできない。次は土地を選ぶときに使う熊手である쇠스랑を持ってついて来いと言う。火は放ったし、全部燃えたので、火に焼けて残った場所を取り壊して新しい土地を開墾するという腹づもりだ。これは完全なヒキガエル欺瞞戦術だ。
 
欺瞞・扇動・洗脳という言葉が脳裏に焼き付いている私たちの遺伝子は、自分のものを強制的に他人に奪われ、生きてきた状況を婉曲的に歌にして遊んだので、この歌の歌詞が楽しく明るいはずがない理由は、このような歴史的背景にある。しかし、どのメディアも、この悲しい歴史が子供の遊びに残っている病んだ私たちの社会を自信を持って叱責する人はいない。植民地時代に言及するだけでも左翼容共アカと決めつける世の中に、検閲されたアイデンティティで他者を認識してきた不条理は、出世と昇進を重ね、代々ガマガエルごっこをしているのではないか。
 
建設主体が誰であれ、家を掴まれたガマガエルが善良な生命体には見えない。純粋で騙されたガマガエルは、体制転覆を恨み、むっくりと起きて開墾のために鋤を熱心に動かす彼らの隠れたガマガエル労働者だったのかもしれない。革命の時には誰もが被害者でもあり加害者でもある。現実と事実を区別できない戦争時代の生命体は皆不幸だ。韓国人はある日突然住んでいた拠点を奪われたのではない。非常に長い歳月をかけて少しずつ少しずつ食い込んできた。学問と宗教、芸術と文学が伴った戦争だ。数百年にわたるこのガマガエルの欺瞞術は、時空を超えて現代まで来て、ショーウィンドウにガマガエルとして映る自分をまだ見分けられない韓国人の無知を嘲笑している。
 
1901年、京畿道果川、黒石里出身の文人、沈熏(シム・フン)の1935年の小説『常緑樹』に登場する「두껍아 두껍아(トウッコバ トウッコバ)」は、主人公のヨンの幼い頃を思い出しながら歌った歌の歌詞だ。砂で城を築きながら「두껍아 두껍아 헌집 주께 새집 다구(トウッコバ トウッコバ 古い家あげるから 新しい家ちょうだい)」という場面で世に知られた。大人たちが祈祷する姿を見て育ったその時代の子供の遊びは、陶器の破片や小石で祭壇を築き、砂で城を築いて遊んだ。最近の子供たちはモーテルに行ったり、他人の家庭を破壊したり、暴力と裏切りのいじめ遊びでもしながら遊んでいるのかもしれない。ヨンの実際の主人公として知られる崔容信(チェ・ヨンシン)は、元山(ウォンサン)よりも早く開化された咸鏡南道斗南里(ハムギョンナムド トゥナムリ)という港町で生まれた。国を救う道は教育しかないという父親の教育熱に早くから目覚めた女性農村啓蒙運動家であり、抗日運動家だった。しかし、日本留学3ヶ月で病気で帰国し、故郷まで帰ることができず、現在は水原(スウォン)という泉谷(セムゴル)で、沈熏(シム・フン)より1年早い1935年、わずか25歳で世を去った。
 
不幸な20世紀の出生者たちは、知識人であるほど飢えに苦しみ、体が痛く、病気が深く、寿命が短かった。正気では生きられず、不具になることを自ら招いた人生も数知れずいた。素月 金廷湜(ソウォル キム・ジョンシク、1902年~1934年)がそうだった。日帝に頭を殴られて精神異常者になり、アヘンで痛みを堪え忍び、33歳で夭折した。詩人 李箱(イ・サン、1910年~1937年)も、詩人 尹東柱(ユン・ドンジュ、1917年~1945年)もそうだった。最近では別の理由で麻薬をするが、100年前には国が滅びて変節と裏切りが難しい人間性の所有者は、自殺したり狂ったふりをしながら短い生を送った。民族を裏切って金持ちになったのは下賤な者が多かったが、両班(ヤンバン)は最前線で死んだが、無知な変節者によって変節者扱いされた。植民地時代に知識人が必要だったのか考えてみれば答えが出るだろう。
 
土は、大地に足をつけ育つ、呼吸するすべての生命の滋養分である。その地の土をいじっていた魂たちが、ヒキガエルに例えた胸の痛む虐殺の場面一つ一つを、このように珠玉のような歌詞で作り上げたが、その民族の魂は、このように犠牲になったまま、九泉をさまよっている。ヒキガエルの比喩が滅亡した朝鮮民族なのか、親日派と腹を割った土着倭寇なのか疑わしいなら、「うちになぜ来たの」を聞いてみよう。
 
「うちになぜ来たの
うちになぜ来たの なぜ来たの なぜ来たの
花を探しに来たんだ 来たんだ 来たんだ
どんな花を探しに来たのか 探しに来たのか
아무개 花を探しに来たんだって 来たんだって
じゃんけんぽん”
 
この遊びの屈辱は相手から選ばれなければいつも歌だけ歌って特別な運動性がないという点であり、勝利はじゃんけんで花を全部取った方にある。味方と敵が入れ替わったまま主人公を輝かせるために一緒になって身なりを整える召使いのようなものだろうか。ゲームの主人公が売春婦として売られていく子供たちだという驚愕を禁じ得ない内容だ。
 
この遊びの由来は明確だ。日本の童謡の一つである「花いちもんめ(花一匁)」だ。もんめ(匁)という漢字は日本が作った漢字で、私たちの銭に該当する重量の単位であり、銀の通貨単位だ。銀1もんめは現在の価値約2万円程度で、花に該当する漢字の華(花)は幼い女の子や売春婦の隠語だ。この童謡が流行していた時は日本の年号昭和初期、つまり1925年前後で日本が中国で大っぴらに人狩りをしていた時だ。銀が日本の基軸通貨だった江戸時代は今想像することさえできない過去だが、当時の貨幣単位で近代に至るまで娘を取引する慣習がこのように歌として残った。恐るべき口伝の威力だ。
 
2019年、大韓民国教育部は本楽曲を調査し、「うちの家にどうして来たの」が日本の子供の童謡である花いちもんめ(花一匁)に由来するという疑惑は事実ではないと結論付けた。子供の童謡を慰安婦と人身売買と関連付ける民間の情緒を遮断しようとしたのである。しかし2021年に燕岐郷土博物館及びダノムノリ側から反論が提起され、研究論文を提出して最終的にこの遊びが日本から伝来したと確定した。
 
帝国主義日本の強制占領期、慰安婦募集は各種新聞に絶えず広告が掲載されていた厳然たる歴史的事実である。しかし当時も今も日帝強占期を批判することはまるで大きな罪を犯すかのようにタブー視する傾向があるが、過去の恥部を抑圧する韓国人の無理な解釈は心理的政治的要因がある。第一に、人身売買と慰安婦募集のための行為が不法であったという事実を隠さなければならない点にある。広告を掲載した新聞は植民地御用メディアであり、子供を性接待売春婦として売り渡した戦争の情緒を可能な限り現代社会にまで繋げてはならない。その当時の権力が今も権力であるため、カルテル破壊は既得権に絶対的に不利である。それで存在するものがニューライト思想であり、李博スクールである。
 
第二に、慰安婦募集広告と人身売買が行われた場所に関する問題だ。公式に新聞に出した広告だけを見て訪ねて行った女性だけが慰安婦として拉致されたのだろうか。絶対にそうではない。朝鮮、中国、満州、日本、東南アジア、そして東南アジアの西洋人まで皆、日帝の慰安婦として連れて行かれた。この場所性の問題は、朝鮮の領土に対する限定された知識を超えることだ。歴史に反逆した権力は、空間の拡張がもたらす波紋が大きくなり、露骨になれば耐えられない。
 
「うちになぜ来たの」が帝国主義日本の童謡だということは言うまでもない。この当時の日本の童謡は、とても口に出せない扇情的で残酷な内容が多い。日本人は一体どんな情緒で自国の子供たちを育てたのか改めて思うほどだ。帝国の子供たちは慰安婦として、軍人として、巡査として、裁判官として育てられた。彼らの中には日本人になりすました朝鮮人も混ざっており、解放後には朝鮮人の家系図を買って入り込んだ日本の種子が平然と国内の既得権として生きている。
 
天地開闢で文明開化された日本がアジアを抜け出し、西ヨーロッパに近づいたという革命にもがき苦しみながら、実は幼い子供たちを労働者や売春婦として売り飛ばしていた事実を、なぜ私たちは拒否するのだろうか。 蠢くように立ち上る陽炎のように、ある日ふと冬眠から覚めたヒキガエルが正気に戻るように、韓国社会全体に加えられた催眠の「レッドサン」から目覚めなければならないのではないか。
 
終わりにしたくても終わりにすることができない。最後に沈熏の詩を読者に捧げる。
 
その日が来れば その日が来れば
三角山が立ち上がり 踊りでも踊り出すだろう
漢江の水がひっくり返って湧き上がるその日が
この命が絶える前に来てくれるなら
私は夜空に飛ぶカラスのように
鐘路の人の磬を頭で打ち鳴らして泣こう。
頭蓋骨は砕けて粉々になっても
嬉しくて死ぬので、むしろ何の恨みが残ろうか。
その日が来て、ああ、その日が来て
六曹前の広い道を泣き叫びながら転げ回っても
それでもあふれる喜びに胸が張り裂けそうなら
持つ刀でこの身の皮でも剥いで
大きな太鼓を作って担いでは
皆さんの行列の先頭に立ってまいりましょう。[6]
その勇ましい音を一度でも聞くことさえすれば
その場に倒れても目を閉じましょう。
 
その日が来れば、1930年

댓글
( 0 / 500 )
jung1004
10
어린이 놀이 하나까지 식민의 그림자가 드리워져 있었다는 사실을 이제야 직시하게 됩니다. 우리가 무심코 흥얼거리던 노래들이 이렇게 무거운 역사적 의미를 품고 있었다니 충격입니다.
( 0 / 500 )
maria
9
이런 끔찍한 역사를 아이들 놀이에까지 숨겨놓고도 지금까지 아무도 제대로 책임지지 않았다니, 진짜 분노가 치밀어 오른다. 왜곡하고 덮어버리기만 하는 이 나라의 ‘기억 정치’가 가장 역겹다.
( 0 / 500 )
hansansoo
6
‘우리 집에 왜 왔니’가 일본의 ‘하나이치몬메’에서 유래했다는 연구결과는 알고 있었지만, 그 배경을 이렇게 생생하게 풀어낸 글은 처음 봅니다. 잊지 말아야 할 역사란 이런 것이겠죠.
( 0 / 500 )
風雲兒
7
어린이 노래 속에 숨어 있던 폭력의 전통을 이렇게 직설적으로 드러낸 글은 처음입니다. 이제는 순진한 향수로 포장된 기억들을 다시 뜯어볼 때인 것 같습니다.
( 0 / 500 )
big_brother
6
두꺼비를 속여 집을 빼앗는 장면을 지금 한국 사회의 현상과 연결시키는 부분이 특히 날카롭네요. 역사적 기만이 현대의 기만과 다르지 않다는 말, 뼈아팠습니다. 아이들 노래 하나까지 더럽히고, 인간의 삶과 기억까지 송두리째 짓밟아버린 게 일제였다니… 생각할수록 피가 거꾸로 솟네요.
( 0 / 500 )
grand_k
4
지식인 죽이고, 아이들 팔아넘기고, 정신까지 식민지화한 제국주의 일본을 미화하려는 세력들이 지금도 존재한다는 게 더 분노가 치민다. 우리에게 남긴 상처를 생각하면 일제는 영원히 용서할 수 없다.
( 0 / 500 )
아리
5
두꺼비 놀이가 단순한 동요가 아니라 기만과 약탈의 은유라는 해석이 강렬합니다. ‘레드 썬’ 같던 사회적 최면에서 깨어나야 한다는 마지막 경고가 오래 남네요. 이렇게 교묘하게 우리 정신을 훼손한 게 가장 치가 떨립니다
( 0 / 500 )
madness
4
‘쇼윈도에 비친 두꺼비가 자신인 줄도 모르는 한국인’이라는 표현이 잊히지 않네요. 현실을 외면하고 살아가는 우리의 모습이 너무 정확해 섬뜩했습니다.
( 0 / 500 )
Oh YoungOlivier
4
출애굽기의 40년처럼, 식민 잔재와 노예 의식을 완전히 벗어나는 것은 단 한 번의 혁명이 아니라 세대와 세대를 잇는 지속적인 성찰과 투쟁이 있어야 되지 않을까요? 이는 역사적 진실을 감추지 않고, 교육을 통해 정의를 구현하며, 개개인의 지적, 도덕적 주체성을 확립하는 '의식의 광야'를 끊임없이 걷는 투쟁 과정이 요구되고 있지요.
( 0 / 500 )
sunmin
2
교육부가 진실을 덮으려 했다는 대목에서 한숨이 나옵니다. 역사를 바로잡겠다면서도 불편한 사실 앞에서는 눈을 감으니, 기만은 지금도 계속되고 있군요.
( 0 / 500 )
李秀
2
놀이의 주인공이 사실은 팔려가는 아이들이었다니, 전통이라는 이름으로 우리가 얼마나 잔혹한 과거를 미화하며 살아왔는지 새삼 깨닫게 됩니다. 나라를 빼앗고 사람들을 끌고 가고, 심지어 어린애들 놀이까지 인신매매 은유로 더럽혀 놓았다니 일제가 저지른 죄악은 끝이 없습니다. 분노를 넘어 역겨움이 느껴진지는건 저만일까요?
( 0 / 500 )
조기호
1
소름 돋네요. 어릴 때 아무 생각 없이 불렀던 동요들이 이런 아픈 역사를 담고 있었다니...
( 0 / 500 )
弘益人間
2
우리가 얼마나 많은 걸 모르고, 아니 모르려고 살아왔는지 돌아보게 됩니다. 과거를 제대로 직시하지 못하면 미래도 없다는 걸 새삼 깨닫네요.
( 0 / 500 )
신고내용

신고내용을 선택해주세요
회원비난/비하/욕설글 및 댓글도배성 게시물저작권 침해/불법자료 유출허위사실유포개인정보 유출.사생활 침해무단광고/홍보음란물 및 도박 불법 광고물범죄행위 관련 글불법행위 관련 소개물품 판매 및 사기글악성코드 및 스파이웨어 유포기타 사유 및 운영진 판단
ID
PasswordShow password
비밀번호를 잊으셨나요?

Sign in with Google

All information provided by us is free of charge and is for the public good.

ⓒ 2022. P-UM.netRSS